2010年4月8日 耕作放棄地をなくすこと。つくばに特産品がないことに目をつけ筑波科学万博の時にすでに成功していたチョウザメの孵化に目をつけた。そこで耕作放棄地に生け簀を作りチョウザメを飼育することにした。そして1口5万円で賛同者を集うことから始めた。2010年5月10日より地下水を掘削し始めた。最初はボーリングで始まったが20m掘ったところで筑波山の硬い岩盤に当たり1次断念。7月10日栃木県黒磯より温泉を掘り当てる掘削業者を招き地下62mまで掘り下げたがまたも硬い岩盤に突き当たった。ここで掘るのを辞め水に不安があったがこの年9月10日チョウザメ20匹を試験的に放流した。2週間状態を見たが問題がなかったので9月25日つくば副市長をはじめとし賛同者・関係者を自宅に集めチョウザメの放流式を行った。その様子がつくば市役所のモニターで紹介された。

2011年3月東日本大震災せっかく掘った井戸水が枯渇するという非常の事態を招いた。ここでまた養殖を断念するかどうかをせまられた。しかし、特産品を作るためにみんなが出資してくれたのを思うと断念することは出来なかった。そこで考え出したのが水替えの少ない養殖であった。私は、もともと野菜の水耕栽培に興味を持っていました。そこで養魚水を野菜の力を借りて浄化しプールに反して再利用するということだった。つまり、養殖と水耕栽培を合わせたアクアポニクスであった。これは欧米でも盛んに行われている循環型農法である。さて、水耕栽培するにあたってあっている作物探しが始まった。冬はクレソン・せり・ミツバがあっていることがわかった。夏は意外にとうがらしがあっていた。また、日本水大賞にも応募し最後の激戦までいった。賞はのがしたものの審査員から4つのおほめの言葉を頂きました。今では日本水大賞の登録団体に登録されています。また、夏の作物がどんなものが向いているかを探しに同じ水大賞でその前に優勝した岐阜県の恵那農業を訪ね秋川ダムを見学してきました。恵那市はリニアモーターカーが止まる駅として発展している市であった。そこで1つの水質浄化作物とであったのである。この作物タイをはじめとする東南アジアの湖上でそだてられている食用作物であった。豆板醤といためてたべるとすごいおいしかった。

つくばチョウザメプロジェクトからの独立

2011年9月にチョウザメプロジェクトを結成してから3年半2015年10月飯島アクアポニクスとして独立!

今後、私1人でどうしていくかすごく悩んだ。

フジキンは大企業だし、私を突き放した(有)チョウザメ産業は桜川で利益を追求した。私と結んでた協定は現在も守られていない。

アクアポニクスを続けるためには水や魚や餌を知らなければならないと思い切って日本水産学会に飛び込んだ。

そこで京都大学坂口教授(前四条畷女子大学長)のもと豊原准教授の指導の下1年間水質測定にはげむとともに70パーセント太陽光を使用した遮光ネットに覆われた中で育つ植物を探した。

初めての水産学会での発表

下関の水産大学校で発表:

閉鎖循環型の養殖で水替えの少ない養殖として反響を読んだ。

教室が人でいっぱいになりました。

 

出会い

東京工業大学の大柿研究員が飯島アクアポニクスを来訪

水質浄化にサカタのたねから出ているサンパチェンスとインパチェンスが優れていることを学ぶ。

早速実験開始:太陽の光で魚が見えないほどの水がサンパチェンス12本をフロート方式で浮かべたら不思議なもので、透視度のなかった水槽がそこまで見えるようになった。

ペットボトルで簡単に作った透視度計で70にまで上がった。

 

初めてのラジオ生出演

茨城放送の宮田アナウンサーが思い出に残る名場面でアクアポニクスを報道で初めて取り上げてくれた。3月21日のことであった。

茨城放送での生出演:初めてだので緊張しました。リピーターからつくばのチョウザメ頑張れとの声が放送後に来ました。

この時、はじめてアクアポニクスで育てた現物のせりとクレソンを放送局にお持ちしました。

初めての応募

飯島アクアポニクスとして初めて日本水大賞に応募:

12人の審査員が飯島アクアポニクスを見学に来訪:よく努力しているとの声

最終審査までもつれ込んだが惜しくも最優秀賞に入れなかった。

しかし5点よいところを指摘してくださいました。

最終的に日本河川団体(秋篠宮様が会長)の登録団体として認証された。

飯島アクアポニクスとして初のTV出演

読売TVのニュースエブリに変わった養殖として取り上げられた。

陣内 貴美子さんがキャスターになりたてだったので今でも思い出に残る。

 

2016年4月2日NPO法人アクアポニクスを広める研究会を設立

理事長に就任

この時すでに交流していた国際スタージョン(チョウザメ)協会の会長の末広陽子さんと団体に加盟している人たちが5人でアクアポニクスを視察。

末広陽子さんのお父様はインド洋で死んでしまったシーラカンスを日本人で初めて食べたので有名である。

ちなみに、シーラカンスの剝製は現東京工業大学に4体がかざられておりシーラカンスは4つの卵巣を持つことがよくわかりました。

また、末広 陽子氏著書の「私はチョウザメが食べたかった」はとても面白いしチョウザメどの様な経緯で日本で養殖されるに至ったかがよくわかります。

 

現在の筑波八ツ房唐辛子の出会い

NPO法人設立の時理事になった人のほかに車いすに乗った老人が来てくれました。

その老人が筑波八ツ房唐辛子の種を水耕栽培で育ててみなさいと言ってくれた今販売している七福来の七味唐辛子を作るきっかけとなった。

筑波八ツ房唐辛子は別名内藤唐辛子といい今の新宿御苑でプロジェクトが盛り上がっている江戸野菜である。

長野県に高遠藩がありまして参勤交代で江戸幕府(現日本橋)までこの唐辛子が運ばれ幕府に献上された。

今の新宿御苑に高遠藩の家老内藤様が住んでおりこの唐辛子で庭園を真っ赤に染めていたそうです。

また、この唐辛子は歴史の教科書で江戸時代に登場する平賀 源内の絵図にかかれているのと葉脈までそっくりでこの唐辛子であるとされています。

そのころ江戸には年越しそばを食べるにもわさびがなくその代わりにこの唐辛子がつかわれたと言い伝えられている。

すなわち筑波八ツ房唐辛子=内藤とうがらしなのである。(現内藤唐辛子の会長である成田さんからいただいたのが筑波八ツ房唐辛子という名前なのである、なので内藤唐辛子学会には全面的に応援していただいております。子の唐辛子は栃木県大田原市の吉岡さんが三鷹という名前で育てております。日本産の唐辛子は現在2パーセントのシェアーしかありません。この3か所で育てられているのがその2パーセントといっても過言ではないのです)

ちなみに唐辛子にも水質浄化能力があることは京都大学との研究で実証されています。

飯島アクアポニクスとして新聞に掲載される。

循環農法として地元の常陽新聞と日本農業新聞に掲載される

アクアポニクスは作物と魚を育てるという一石二鳥のシステムなのでどうせなら少しでもお金になるようにと作物は野菜に決定して行い始めた。いろいろな植物を植えて試行してみたが1番成長がよく、実をたくさんつけたのが唐辛子であった。そこで、地元にもともとあった香りのよい福来みかんを使い七味唐辛子を作り上げた。

2年目でこれが茨城デザインセレクションとつくばコレクションに選定された。地元の作物を使ったせいかとても人気がよくつくばエクスプレスのつくば駅の物産館では結構出ている。ちょっとしたお土産としても、かさばらなくて軽いのでとても良いということから出ているみたいだ。

水質浄化の植物

空心菜:夏になると繁茂しその根はフィルターになる。ばっ気の上で育てると非常に成長が早く大きく育つ。水槽のごみや藻類を吸着してくれる。あまり繁茂させておくと枯れる時期が来るのでその前に刈り取るのがベスト。ベーコンと空心菜のオリーブオイル炒めは絶品。

飯島アクアポ二クス

(エコファーム飯島)

営業時間

平日 6:00~20:00

土日 6:00~20:00

 

定休日

不定

 

お問い合わせ

TEL: 029-866-0957

FAX: 029-866-0957

 

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